ヒロシマの日に

20代の頃に、広島を訪れたことがあります。
午前中に、宮島に渡り、厳島神社や美しいもみじ谷の景色を見て、
午後から広島市の平和公園へ行きましたが、
子どもの頃、原爆投下直後の街や、被ばくされた方々の写真を見る機会があり
その様子が脳裏に焼き付きついていた私は、
原爆資料館の前で足が止まり、入るか入らないか、とても迷いました。
その時、一緒に行っていた母は、
「お母さんは、観た方がいいと思うけど、自分で決めなさい。」と言い、
私は、迷いに迷った末、その出来事に向き合う勇気がなく
資料館へは入らず、平和公園を原爆ドームに向かって歩きました。
原爆ドームが近づいていくにつれ、慰霊碑や様々な像を見て歩くにつれ、
見なければならないことを見ずに此処を歩いている...
なんだか偽善のような自分を感じながら...後ろめたい想いにかられていきました。
帰路への時間が迫っていて、そんな想いを背中に感じたまま旅を終え、
それ以来、広島を訪れていませんが、
もう一度、必ず広島を訪れ、資料館へ行きたい、行かなければならないと
大人となった今は、強く感じています。
その時は、その日の暑さを感じられる8月に行きたいと。

戦争という、国を壊すような、たくさんの命を失うことになった出来事から学んだことは、
どんな明日を描き、どんな今を選ぶことで応えられるのだろうか...と考えます。

過去の悲惨な歴史は、同じ過ちを繰り返さないために伝えられてきている。
そのことを決して忘れてはいけないし、軽視も、ましてや、
まるでそれが国益のためであったかのように解釈を変えて正当化するなど、
あってはならないことだと、私は思っています。

ヒロシマの地に投下された原子爆弾によって、
命を失われた方々のご冥福と、
現在も不安と苦しみを抱えながら暮らされている方々、
家族や友人・知人を失われた方々の想いが
癒され、救われる世界になりますように...と、
強く願い、祈ります。


そのために、何ができ、何を選択すべきか、自分に問いながら。
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by sawaki-home | 2013-08-06 08:15 | politics

Painting is poetry that is seen rather than felt, and poetry is painting that is felt rather than seen. [Leonardo da Vinci]


by sawaki
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