ナガサキの日に

長崎を訪れたことはありません。
けれど、数年前 「monument」 というタイトルで、長崎の平和祈念像を中心に
日本各地にある平和への願いを込めた像をモチーフにして、私なりの
平和を祈念した絵を描いた、描こうとしたことがあります。
ですが、参考にしたのは、そういった像ばかりを集めた写真集で、
実際にその場に立ち、自分の目で見たわけでも、
そこに流れる風を感じたわけでもなかったせいか、どう描ききるか...というところで
筆が止まり、結果、未完成のまま、我が家の納戸に眠らせてしまっています。

自分の中に生まれた想いや感情を、作品として表現しようとするとき、
自分自身と向き合いながらも、広い視野から、その思考を客観視することも必要で、
他者に発信するものとして、その作品を仕上げるためには
そのバランスが、とても大切なように思います。
自分だけの独りよがりでは、それを受け取る側の心に響かせることはできず、
かといって、受け取る側のことばかり思考していては、自分の作品としての声を
失ってしまう...そんな気がします。

戦争という悲劇、過ちとは、どんなものなのか?
どんな風に、どんな経緯で、その過ちを選択することになってしまったのか?
“いつのまにか” とか “知らないうちに” その道へ進んでいた...
なんて言葉で片付けられるようなことなど、絶対に許さないという意思を持って
未来への責任を担わなければならない場面に、私たち、今を生きる大人は
立っているのではないかと...ここ数日、強く感じています。


ヒロシマと同じく
ナガサキの地に投下された原子爆弾によって、
命を失われた方々のご冥福と、
現在も不安と苦しみを抱えながら暮らされている方々、
家族や友人・知人を失われた方々の想いが
癒され、救われる世界になりますように...と、
強く願い、祈ります。


“バスに乗り遅れるな”
かつて、ドイツと同盟を結び、戦争に乗り遅れずに参加しなければならない
という思考を国民に浸透させるために、こんな言葉を使って
その心を誘導させていたこともあったそうです。

“和をもって、尊しとなす”
協調性を重んじる日本人の特性が、強行的な思考の策略に踊らされないよう
平和的な “和” を、貫ける国であって欲しいと願っています。
[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by sawaki-home | 2013-08-09 11:02 | politics | Comments(0)

Painting is poetry that is seen rather than felt, and poetry is painting that is felt rather than seen. [Leonardo da Vinci]


by sawaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31