解釈を変えるということ


職業柄、認知症となった方々と関わることが多いのですが
理性的に感情をコントロールすることが難しくなっている方が
反応することや、その言動には
彼らが、人生の中で経験してきたこと、心に深く刻まれていることが
詳細を知らずとも、そこに現れてくるように思えます。

昨今、憲法解釈を変えるという動きや、戦没者を慰霊する...
ということについて、捉え方や、着眼点の違いを感じさせられている
のですが、そのことを考えるとき、その指導者たちは
戦争というものの現実を、どのようなものだと思っているのだろう?
と、感じてしまいます。

ある認知症の男性は、感情的に他者を威圧するような言動が
多い方なのですが、その怒りの感情を吐き出したあと、そこから続く感情は
兵隊として、戦争を体験した時の、深い哀しみに変わってゆきます。
幼い子供が、大人に対して、泣きながらその想いを訴えるときのように
溢れ出す涙と悲しみを、どうすることもできない姿を見せるのです。
彼は先の戦争で、兵隊として出征されているのですが、
現地で、同じ部隊の仲間が、目の前で命を落とすという経験をされており
息絶える者を、腕に抱え、どうすることもできなかった悔いや悲しみ、
自らにも訪れるかもしれないという恐怖が、彼の人生の根底に
心の奥底に、強く深く刻まれているのだと感じさせられる経過でもあります。

戦後、何十年過ぎても、街は新しく生まれ変わり、景色や日常生活から
焼野原だった世界が想像できないような暮らしになっても、
どんなに理屈を並べて、そういう時代だったと納得させようとしても
人間というのは、そういう傷を癒しきれない生きものなのだと
私は思うのです。
認知症によって、理性の鎧が外されてしまうとき、それが露わになる。

人間が感情を伴いながらも、さまざまな状況で、その感情を押し殺したり
コントロールしたり、口を閉ざしたり、誰かのせいにしたり...
それでも、そこに生まれる感情が揺れ、迷うとき
その事実に対する解釈を変えることで、理性的に納得しようとする...
のではないかと思うのです。

だからこそ、いま、忘れてはいけないのは、
どんなに解釈を変えても、
どんなに正当だと示されても

そこに起きる現実は、同じ惨状である。
ということではないかと。

認知症の彼から、私に伝えられているのは、そういうことだと思うのです。




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by sawaki-home | 2014-04-18 19:45 | politics

Painting is poetry that is seen rather than felt, and poetry is painting that is felt rather than seen. [Leonardo da Vinci]


by sawaki
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