ハラスメント問題

 

聞くだけで、寒気がする!と感じてしまう音声データが公表されている

財務官僚トップのセクハラ問題。

 

男性目線、女性目線、という括りでなどで、線引きできるものではない!

と思えるくらい、様々な意見が飛び交っていて、

「何度も会っている関係なら」とか「嫌なら深夜に行かなければいいんだ」

なんていう声も聴くけれど、私の印象でいうと、

取材する側、取材される側という、利害関係で成り立っている関係の中で

発せられた言葉だったというところに重さがあるのではないかと思う。

 

官僚と記者の関わり方というものが、どういうものなのかはわからない。

取材する側にある「本音や真実を聞き出したい」という想いから

不愉快さを感じながらも、それなりに話を合わせてきたのかもしれない。

けれど、官僚側にも

「取材したいだろうから、深夜だろうと、性的会話でも付き合うだろう」

という傲慢な認識があったのではないだろうか?

 

敢えて、百歩譲って...いや、百万歩譲って

取材する側と、取材される側から始まった関係だったけれど

次第に、利害関係は度外視して、相手に惹かれていったから口説いた

とするなら、

相手の気持ちを考えた言葉を選ばなければ、口説き落とすことなど

できないだろうと思う。

高学歴で、様々な人間関係を上手にこなして、トップに辿り着いただろう

人の言葉にしては、あまりにも自己満足な欲求の解消に思える。

あの言葉は、あまりにもセンスがない。

 

「常識」って、万人に共通する認識であるかのような言葉だけれど

実は「常識」にも「普通」にも、とても個人差がある。

だから、いまここに書いている私の意見も、「一般常識」とは言わない。

けれど、たとえ立法や行政機関を担っている一人であっても、

「自分の考えが、世の中のルールにできる」と認識は、傲りだと思う。

 

「全体を聞いてもらえれば、セクハラに当たらない」と言われているけど

「自分の性的欲求を、対等とは言えない相手に放った」ことに変わりはない。

 

セクハラやパワハラの定義がどんなもので、

何を根拠に裁判で勝てると言われているのか、私にはわからない。

お酒の席での言葉が、どれだけ許されるというものなのかもわからない。

けれど、既存の法律で定められている範囲でしか裁けないものの勝利が

必ずしも、その行為の正当性を示すものではない、と思う。

 

もしかしたら、こんな意見を何百万人が、何千万人が、何億人が叫んでも、

彼らの価値観は、己の認識を重い問題だと受け止めることはないかもしれない。

けれど、言わなかった想いは、なかった想いと同じになる危険があるなら

言わなければならない、なかったことにするわけにはいかない、

そういう場面が、人生にはあると、私は思う。

 

そういう意味では、女性記者の選択は、行動する価値があったと思う。

 

永田町の常識、霞が関の常識が、一般常識ではない。

国の舵取りを担っている人たち、エリートと呼ばれる肩書を持つ人たちが

必ずしも、人として優れているわけではない。

報道機関も、誰のための機関なのか、背骨が曖昧になっている。

とっても残念だけれど、そんなことを感じさせる出来事なのだと思う。

 

 

 

 


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by sawaki-home | 2018-04-23 00:00 | politics

Painting is poetry that is seen rather than felt, and poetry is painting that is felt rather than seen. [Leonardo da Vinci]


by sawaki
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