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雨の日の「雪の日に」

 

雨の夜だけど、吉野弘さんの「雪の日に」を読んだ。

 

ひとつの心の中に、誠実に捉えられているものと

誠実ではいられないものがある。

どちらも、偽物ではなく、

自分という、ひとつの心の中に存在する。

それが事実だと思う。

 

誰かに伝えたい想いがあるとき、

何かに揺さぶられる感情があるとき、

自分の中にある様々な感性が

出たり、引っ込んだり

素直になれたり、強がったり、

隠そうとしたり、隠せなかったりする。

それを全部ひっくるめて

正真正銘の自分なのだろうと思う。

 

どういう答えを選べば、間違いではないかも

どういう行動を選べば、誠実さが伝わるのかも

おおむね、わかっていながら、

それを選べていない自分と向き合うとき

自分の中にある誠実な思考が

なんだか偽りのように思えてしまったり

まわりを欺いているように感じてしまうけど、

甘さを承知で願うなら

そんな不完全な自分を受け入れて欲しい。

 

ずるさも、弱さも、身勝手さも

許容の範囲であって欲しい。

 

それが私の、ばか正直な本心だな...と。

 

 

雨の日に、吉野弘さんの「雪の日に」を読みながら

そんなことを思った。

 

 

 

 




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by sawaki-home | 2018-08-09 20:00 | book

夏子の冒険

 

三島由紀夫さんの『夏子の冒険』を読んだ。

これも、何年か前に買って、途中になっていた本の一つ。

 

読み始めの頃は、育った環境の良さと美貌と頭の回転の速さが

彼女の自信となって、大胆な行動や言動に表れているのかな?と

たぶん、僻みのような感情が私の中に生まれていて

彼女に共感できないところが読みすすめられなかった理由かな?

とも思うのだけれど、

とりあえず、そんな彼女が、どんな人に惹かれていくんだろう?

この物語は、どんな展開になるのだろう?と思いながら

読みすすめていくことにした。

読んでいく中で、やっぱり男性というのは、美貌に弱いのか?

と感じたり、足手まといになるなんて考えない思考や行動力って

すごいな...と思ったり、

夏子も夏子だけれど、このお母さんたちの勢いもすごいな...

と思いながら、なんだか面倒なタイプの人たちだな、と、

距離感をもって関わるならいいけど、あまり近づきたくない

タイプの人たちだなぁ...と感じていたのだけれど、

終盤になってくると、その様子が微笑ましく思えてきたりして、

夏子の最後の台詞を聞いた時には、「それでこそ夏子だ♪」と

彼女に拍手を贈りたくなった。

 

三島由紀夫さんの作品は、他に読んだことがなくて、

日本人として、『金閣寺』くらいは読んでおかなくちゃと思って

買ったことは買ったのだけれど、これも開くこともないまま

未だ書棚に並んでいる。

三島さんというと、やはり「割腹自殺」前の姿が思い浮かんで

その印象だけで考えると、この『夏子の冒険』の、特に

夏子の母や祖母、伯母たちの描写が、すごく意外な感じがした。

結果的には、夏子より、彼女たちが経験したことの方が

大冒険じゃないかと思うのだけれど、

夏子の洗練された感じ比べ、小説の中ではブルジョワな感じと

表現されていた彼女たちの振る舞いや言動が、

よっぽど生身の人間らしいと思えて、それまで私が抱いていた

三島さんのイメージと、すごく遠いもののような感じがした。

それこそが三島さんの、作家としての力量ということなのかな?

 

まだまだ、読みかけの本はあるのだけれど、今月は、

『こころ』と『夏子の冒険』を読み終えるという目標だったので

とりあえず目標達成!

小さなことからコツコツと「やりとげる」という経験を重ねて

自分を信頼できるようになっていきたいと思う。

 

 

 



 

 


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by sawaki-home | 2018-05-20 04:00 | book

こころ

 

夏目漱石の「こころ」を読み終えた。

 

この本を読み始めたのが、いつ頃だったのか...

先生の手紙に入ってから、なかなか読みすすめられなくなって

しばらく放置していたのだけれど、

あまりにも読みかけになっている本ばかりが積まれている

自分の「やりとげる力のなさ」に愕然として

とりあえず、読み終えていこうと。

 

先生の手紙が、自分にとって、どうしてそんなに

読みにくいものだったのか。

それは、言い訳のように、前振りが長すぎると感じて

じれったくなっていたこともあるし、

この小説の題名が『こころ』となっていることに表れている

人のこころの浮き沈みや、目を背けたくなる嫉妬心など

自分の心情の中にも存在する弱さや脆さの要素が

丁寧すぎるほどに、描写されているからだと思った。

 

以前、どこかで、

日本で一番売れている本は、太宰治の『人間失格』と

夏目漱石の『こころ』だと聞いた気がする。

発売されてからの月日が長いということも、その理由の一つ

なのだろうとは思うけれど

時代が変わっても、読んでみようと思う人がいつづけている

というでもあるだろう。

 

万葉集などからも、人が人を想う気持ちや、人生への迷い、

季節から得る風情や情緒のようなものが

人のこころに、変わらずにあるものだと感じるように、

文明が進化して、常識や価値観が形を変えても、

人のこころに生まれる、苦悩や葛藤のような揺れは

たやすく割り切れるものではなく

悔いを重ねながら、生きていくしかないことを知るところに

この小説の読み継がれる理由があるのかもしれない。

 

 
 



 

 


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by sawaki-home | 2018-05-17 12:00 | book


 

 

 

もしも、自分に

もしも、親に

もしも、子供に

もしも、恋人に

もしも、友人に

もしも、自分の愛する大切な人の身に、

このようなことが起きたら...

 

自分の心は

「哀しみ」という言葉では表現しきれないほどの痛みを

生涯、抱えていくことになるだろう。

 

 

 



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by sawaki-home | 2018-04-08 19:45 | book

いいものあげる

 

重松清さんの短編集『ロング・ロング・アゴ―』の最初の一篇。

なにか少しずつ読めるような、心に穏やかに響いてくるような

そんな文庫本を探していたんですけど、この裏表紙に書かれていた

―「こんなはずじゃなかった人生」に訪れた、小さな奇跡...―

という言葉に惹かれて購入してみました。

 

ということで、今日は『いいものあげる』。

小学生の女の子の世界が舞台だけれど、こういう雰囲気は大人の世界にもある...

なんて思いながら、私も苦手だなぁ...と、やや読みすすめることに

尻込みしてしまうような気分にもなりながら、「奇跡」を信じて読んでみました。

 

自分が行動することには、結果ということの他に、

心に感触として残る、後味というものがありますよね。

それはしかたのないこと、必然なのだと、頭では言い聞かせてみても

自分の中にある良心というのか、根付いている感性というのか

そういうものが、思考や感情と別のところで

ブレーキをかけさせたり、背中を押させたりすることがある...

と思うんです。

そして、その感性が、実はいちばんの葛藤や迷いや悩みの原因でもあり

いちばん自分を納得させられ、救ってくれるものとも思えます。

 

後味の悪さを払拭するためには、つらい感情に向き合わなきゃならない。

時には、言ってしまいたい不満なんかを、封印しなくちゃならないこともある。

でも、私自身のことを省みると、その時の溢れそうな想いを怺えるより

溢れだす想いを放出することで、悪くなる後味の方が、

後々残っていく、自分へのダメージが大きいような気がするんですよね。

 

小学生の女の子の暮らす世界にも「社会」があって

大人よりも純粋で不安な感情と向き合いながら、格闘しながら

過ごしているのだろうと思います。

大人の事情が、子供の生活に影響を与えていることは、多々あると思いますし、

たぶん、それらすべてをひっくるめて「社会」なのだろうと思います。

そんな中で、見い出されたり、育まれてくる自我というものが

その後の自分の生き方や考え方の指針になっていくのだろうと思います。

 

「いいものあげる」は、

少女たちの社会の中で、育まれていく感性の瞬間が描かれている

と感じる作品でした。

そして、彼女たちの頭を笑顔で撫でてあげたいなぁ~と、

彼女たちの中にある美しい光りに拍手を送りたくなるような...

そんな後味を私に与えてくれた作品でした。

 

 

 



 


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by sawaki-home | 2018-03-07 16:00 | book

かならず終りがくる

 

先日、施設に入所されている方の中で最高齢だった方が

亡くなったんですよね。

年末くらいから、少しずつ身体状況に低下が見られてきていて

最期は、娘さん夫妻の見守られる中で永眠されました。

 

そんなこともあってか、ふと

自分は、愛する人を看取りたいか、それとも

愛する人に看取られたいかって思ったんですよね。

たぶん、人によって違うと思うんですけど。

 

で、私はというと「看取りたい派」だなぁ...と思いました。

理由はわからないんですけど

愛する人の人生を最後まで見届けたいと思う気持ちの方が強くて

自分の最期を見届けて欲しいという感覚はないなって。

だからもしも、自分の方が先に人生を終えることになったら

すごく未練が残る気がする。

まぁ、今日現在の気持ちですけどね。

この先、歳を重ねていったり、長く病気を患ったりしたら

心細くなったりして、心境もかわるかもしれませんが。

 

これまで過ごしてきた私の人生にも、それなりに辛い出来事や

先が見えないと思えるような日々もありましたが

幸いにも、自ら人生を終わらせたいと思ったことはないんです。

なぜそう思わなかったのかはわかりませんが

もしかしたら心のどこかで「人生には、かならず終りがくる」

ということを感じているからなのかもしれないと。

 

父が亡くなった時には、私はまだ幼くて

父の記憶は、片手で数えられるくらいしかないのですが

以前、井村和清さんの『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』を読み

「ふたりの子供たちへ」と書かれた文章を読んだ時、

当時の父の心境を感じることができた気がしたんですよね。

父もきっと、彼と同じ気持ちだっただろうと。

 

―さようなら。私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。

おまえたちが倒れても、手を貸してやることも出来ない。

だから、倒れても倒れても自分の力で起き上がりなさい。―

 
 

なんて言葉を胸に刻みつつも、仏壇の前では
「どうか道を間違えないように、力を貸してください」って
両手を合わせているんですけどね。 

なんだか、とりとめのない話になってしまいましたが

たとえ僅かな時間であっても、自分が関わった方が亡くなると

いろんな想いがめぐるものなんですよね。


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by sawaki-home | 2018-02-06 01:36 | book

ぶれない

 

日本画家の平山郁夫さんの著作です。

以前にも一度読んだのですが、もう一度読んでみようと思い

書棚から取り出しました。

 

あんなに美しく温かい画面を描かれている平山さんでも

迷ったり、悩んだりしたことがあったのだな...と

慰められるような、励まされるような想いにもなったのですが

その中で、いまの自分にも当てはまるような気がしたのは

―水は、少しずつ温まり、100℃で沸騰する。

 けれど、100℃になる前に諦めてしまう人が多い。―

という内容が書かれていた部分でした。

 

長い時間を経て、少しずつ温めてきた、温め続けてきた想いに

時折、冷たい水を差されて、気持ちが萎えそうになることも

たしかにあるけれど、

心に宿る炎を、自ら消してしまったら、今よりももっと

寒々しい感触の中で、生きていくことになるような気がする。

 

何の確証も、確信も見いだせない中で

ぶれずに想いを貫き通すのは、簡単ではないけれど

諦めを纏って生きるのは、とても寂しい。

何ができるのか、どんな未来にたどり着くのかわからないけど

自分の感性を信じて、いまの自分がしたいことをしよう。

心に宿る炎に、手をかざしながら。

 

未来という画面には、心のままに、希望を描こう。

 

 

 




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by sawaki-home | 2018-02-02 03:08 | book

長い旅の途上


 



 

 

 

 

編集後記には、星野道夫さんの遺稿集として編集されたもの

と記されていました。

この文庫は、「2002年の510日第1刷」と書かれているので

私が読んだのも、その頃なのだと思うのですが

私のイメージでは、20代の頃に読んだような気がしていました。

星野さんの存在を知ったのは、20代の頃だったと思うので

『アラスカ 風のような物語』を読んだ記憶と混同したのかな。

 

2002年と考えれば、その頃の私が何を思いながら生きていたか

想像はできるのだけれど、久しぶりに読み返してみると

いくつかのページに、ラインが引いてあって

その頃の自分の心に響いたと思われる言葉から、当時の想いが

感じ取れるように思いました。

たぶん『長い旅の途上』というタイトルもその一つで。

そして、そのラインで引かれた言葉たちは、いまの私の心にも

同じように響いてくるところに、自分の中の変わらない感性を

再認識できた気がします。

 

そんな中に、

「今日、つくづくそれを感じた... 」という出来事があったので

ご紹介します。

 

Life is what happens to you while you are making other plans.

(人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと。)

 

この作品の中の「約束の川」という章に登場する、

シリア・ハンターという女性が、よく言っていた言葉なのだそう。

 

そうなんですよね。

こんな風に暮らしていきたいと、いろいろ計画を立ててみても

“完璧に計画どおり”となることなんて、ほぼなくて

「え~っ!?」とか、「あぁ... 」とか、そういう感情に彩られながら

何度も、何度も、気を取り直して生きてきたんだよなぁ~と。

 

なので、今日も気を取り直して、いきましょ。

 

 

 

 


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by sawaki-home | 2018-01-10 14:07 | book

掌の小説

 

 

 

「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」

 

川端康成『一人の幸福』より

 

 

 



 

 

 

あなたが幸福でありますように

 

 

 


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by sawaki-home | 2017-12-29 19:52 | book

深夜特急

 

昨日、『深夜特急』の話にふれたのでね。

文庫本6冊を、本棚から取り出してみました。

 

 



 

 

たぶん25年近く前なのかな... もう結構ボロボロになってますが、

友人から、インドのデリーからイギリスのロンドンまで

乗り合いバスで行くっていう旅の話で面白いよと勧められて、

それは面白そうだと読み始めたんですよね。

でも、スタート地点のデリーにまでも、なかなか辿り着かなくて。

「デリーからロンドンまで乗り合いバスで行く」ってことに

興味があって読んでるのに、香港、マカオ、マレー半島、

シンガポールと、先を急ぐことなく渡り歩いていて

「はやくデリーに行ってよぉ!」と思いながら読んでいました。

ようやくデリーに辿り着いた頃には、3巻目になっていて、

「やっと始まるよぉ... 」と思った記憶があります。

 

読み終えてから、もう20年以上過ぎているので

断片的にしか内容を覚えていなかったりするのですが

当時の私は、そのアジアの埃立つ風の中にある装わない人間臭さ

というようなものに興味がわいて、

『深夜特急』を読み終えたあとにも、アジアの旅を主題にした

ノンフィクション作品を何冊か読んだりしていました。

その頃は「インドに行ってみたい」とも言っていましたが、

結局は、自分が実際に旅をするというところまでの勢いはなくて

友人の旅の話を聞かせてもらっただけで行った気になって

そのうち熱が下がってしまったという感じです。

 

それでも、あの年頃に『深夜特急』を読んだという経験は

私にとって、とても大きかったと思えていて、

それまで、行けることはないだろうと思っていた世界(外国)が

行こうと思えば行けるのかも... と思えるようになった気がします。

 


 

 


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by sawaki-home | 2017-12-19 01:30 | book

Painting is poetry that is seen rather than felt, and poetry is painting that is felt rather than seen. [Leonardo da Vinci]


by sawaki
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