カテゴリ:politics( 20 )

ハラスメント問題

 

聞くだけで、寒気がする!と感じてしまう音声データが公表されている

財務官僚トップのセクハラ問題。

 

男性目線、女性目線、という括りでなどで、線引きできるものではない!

と思えるくらい、様々な意見が飛び交っていて、

「何度も会っている関係なら」とか「嫌なら深夜に行かなければいいんだ」

なんていう声も聴くけれど、私の印象でいうと、

取材する側、取材される側という、利害関係で成り立っている関係の中で

発せられた言葉だったというところに重さがあるのではないかと思う。

 

官僚と記者の関わり方というものが、どういうものなのかはわからない。

取材する側にある「本音や真実を聞き出したい」という想いから

不愉快さを感じながらも、それなりに話を合わせてきたのかもしれない。

けれど、官僚側にも

「取材したいだろうから、深夜だろうと、性的会話でも付き合うだろう」

という傲慢な認識があったのではないだろうか?

 

敢えて、百歩譲って...いや、百万歩譲って

取材する側と、取材される側から始まった関係だったけれど

次第に、利害関係は度外視して、相手に惹かれていったから口説いた

とするなら、

相手の気持ちを考えた言葉を選ばなければ、口説き落とすことなど

できないだろうと思う。

高学歴で、様々な人間関係を上手にこなして、トップに辿り着いただろう

人の言葉にしては、あまりにも自己満足な欲求の解消に思える。

あの言葉は、あまりにもセンスがない。

 

「常識」って、万人に共通する認識であるかのような言葉だけれど

実は「常識」にも「普通」にも、とても個人差がある。

だから、いまここに書いている私の意見も、「一般常識」とは言わない。

けれど、たとえ立法や行政機関を担っている一人であっても、

「自分の考えが、世の中のルールにできる」と認識は、傲りだと思う。

 

「全体を聞いてもらえれば、セクハラに当たらない」と言われているけど

「自分の性的欲求を、対等とは言えない相手に放った」ことに変わりはない。

 

セクハラやパワハラの定義がどんなもので、

何を根拠に裁判で勝てると言われているのか、私にはわからない。

お酒の席での言葉が、どれだけ許されるというものなのかもわからない。

けれど、既存の法律で定められている範囲でしか裁けないものの勝利が

必ずしも、その行為の正当性を示すものではない、と思う。

 

もしかしたら、こんな意見を何百万人が、何千万人が、何億人が叫んでも、

彼らの価値観は、己の認識を重い問題だと受け止めることはないかもしれない。

けれど、言わなかった想いは、なかった想いと同じになる危険があるなら

言わなければならない、なかったことにするわけにはいかない、

そういう場面が、人生にはあると、私は思う。

 

そういう意味では、女性記者の選択は、行動する価値があったと思う。

 

永田町の常識、霞が関の常識が、一般常識ではない。

国の舵取りを担っている人たち、エリートと呼ばれる肩書を持つ人たちが

必ずしも、人として優れているわけではない。

報道機関も、誰のための機関なのか、背骨が曖昧になっている。

とっても残念だけれど、そんなことを感じさせる出来事なのだと思う。

 

 

 

 


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by sawaki-home | 2018-04-23 00:00 | politics

今日の報道

   
ん~。
財務省で働いている方々って、
いわゆる、エリート中のエリートなんですよね?
子供の頃から勉強を頑張って、入省してからも仕事を頑張って
物事の良し悪しを判断する常識も、現状を把握する能力も、
先を見通せる知識も備わった人として
評価されるに値するという自負もある中で
今日に至っているんだろうなぁ...って思うんですけど。
 
今日の大臣の返答や、理財局次長の返答を聞いていて
これでいいのかなぁ...って思いました。
 
財務省で働いている方々は、これで納得できるのかなぁ...。
 
大人になっていくほどに、まわりの状況を鑑みて
「胸にしまう」という力が備わってきたりすることもあると思うし
それが必要な場面もあると思うけれど
自分の生き方の指針として、ここだけは譲りたくないこととか
胸にしまっちゃいけない場面というのもあると
私は思うんですよね。
 
エリート界の生き方や考え方は、
私のようなものには、想像できないことがあるのかもしれませんが。
最善の判断だと言い聞かせてみても、無理を通そうとすれば
結果的には、責任は我が身に降りかかるということも、
気づけていたんじゃないかと。
それなのに...なぜ?何を優先して、その選択をしたのでしょう?
 
誠実に、真面目に、頑張ってきた自分がいるはずなのに...
こんなことのために頑張ってきたわけじゃないだろうに...
 
こういうことも仕事だって、割り切れるのかなぁ?
 
 
ん~
財務大臣の発言は、まぁ予想どおりだな...と思ったけれど、
理財局次長の言葉はなぁ...それでいいのかなぁ?
誰の何を守ろうとしているのかなぁ?...と感じました。
 
 
 

 
 
 
  
 
  


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by sawaki-home | 2018-03-12 20:00 | politics

ICAN

 

今年のノーベル平和賞には、核兵器の非合法化と廃絶を目指し、

今年の『核兵器禁止条約』成立に貢献した国際NGO

「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が受賞しましたね。

 

いまの日本政府は、

いまの日本が、アメリカの核の傘の中にあるという認識から

この条約が核保有国との分断を深めると批判していて、

会議にも参加しないという態度を示しているため

ノーベル平和賞についてのコメントもしなかったようですが。

 

私は、核兵器のもたらす悲惨さを経験している日本だからこそ

せめて、この受賞に値すると認めるくらいの姿勢をみせても

いいのではないかと思いました。

 

 

いまの日本が、アメリカの核の傘のおかげで、

抑止力になっているからこそ、平和なのだというなら、

もしも日本にアメリカの傘がなかったら、

「日本も核開発をすべき」ということになるのでしょうか?

だとしたら、いまの北朝鮮の核開発に向けた動きは

理解できるということになるのでは?

 

銃を持って、自身の身を守る権利があるという意識から

銃社会となっているアメリカでは、

銃を容易く手に入れられるからこそ、銃による事件が多発し、

先日のような残虐な事件が起きたりしているのでは?

 

そんなことを考えれば考えるほど

日本政府の言動に、矛盾を感じてしまうんですよね。

 

 

 

そんな中、

昨日、NHKBSで、カザフスタンを訪ねる番組を見ました。

仕事の休憩時間に、少しだけ見た程度なのですが、

その番組で、旧ソ連時代、核実験が何度も行われていた場所が

カザフスタンであったことを知りました。

そして、現在もなお、当時の核実験により被ばくし、

後遺症や苦しい状況を強いられてきた方々が大勢いることも。

 

原発事故も含め

原子力開発によって、命を失ったり、後遺症に苦しんだり

住む土地を奪われたりしている人々が、この地球上に、

どれくらいいるのだろう...?

 

核兵器開発を含めた原子力開発で利権を得ている側の方々は

それを、どのくらい認識できているのだろう?

そんなことを思いました。

 

そして、この本を思い出しました。
 
 

『ここが家だ ~ベン・シャーンの第五福竜丸~』

 

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核シェルターなんて、とても持つことのできない私は、

「核廃絶」を訴えている方に賛同します。

 

 

 


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by sawaki-home | 2017-10-08 02:37 | politics

思惑

 

深読みのし過ぎだと言われるかもしれないけれど

今回の衆議院解散の舞台裏って...

 

与党の中には、首相に辞めて欲しい人たちがいて

でも首相は自ら辞めようとしないから、

「解散総選挙バンザイ」で

都知事が出てきて与党が大敗すれば、

さすがに首相も責任を取ってやめてくれるだろうと

そんな期待もあるのではないかと。

 

そして、都知事は都知事で

政策は今の与党と変わらないけれど

いまの与党の中にいても総理大臣にはなれそうにないから

自らが党首の新党を作って

いまの与党の支持者で、いまの内閣に不満のある人の票と、

野党の中の、自分の看板に縋りたい人たちの票と

政治資金を利用して、与党を脅かす大きさになれればよくて

そうなれば、自身の発言力も強くなるし

政策が変わらないなら、いまの与党との連立政権でもよくて

そうなれば、自身の総理大臣への道も近づくと。

それに何より、改憲や安保法制に反対する勢力が

「与党の政策を脅かす存在になりえなくすることができる」

そんな思惑なのではないかと。

 

一部の与党議員から、

「是非、都知事に出てきて欲しい」という言葉が出るのは

結果的に、いまの与党にとっても

都知事が出てきてくれた方が都合がいいということで。

対決するような感じに見せておけば

二者択一に有権者の心理を誘導しやすくなるけれど

実は、どちらを支持しても、行う政策は同じなのだから。

真の目的は、改憲に反対する勢力となりそうな

「野党共闘を壊す」ことなのではないかと。

 

政治の世界は、誰にどんな思惑があるのかも

実際にタクトを振っているのが、誰なのかもわからないけれど

報道を見れば見るほど

そんな気がしてならないんですよね。

 

 

 

 

 

もしも、都知事が衆議院議員選挙に出馬するとなったら

都政は1年で放棄するわ、

対決しているように見せかけておきながら

連立政権になるわ... みたいなことになる可能性も

あるんじゃないかという気がするんですよね。

 

選挙で議席をとってしまえば、

国民の訴えなど、どこかの遠吠えくらいにしか

思えなくなるのではないかと。

そうじゃなかったら、どんな言い訳をならべても
都民の期待を1年で放り出して

出馬することはできないと思うんですよね。

 

 

 

 


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by sawaki-home | 2017-10-01 23:56 | politics

 

いまの総理大臣の身勝手な制度の乱用とも思えるような手法を

同じ党内から変えられないものなのかなぁ~とも思っていましたが

対する野党議員の動向も、何をやっているのかなぁ... と、

がっかりしてしまう。

自身が議員として、どこにつけば生き残れるのかということに

終始している様子で、

「議員として何をしたいから国民に支持を求める」

という大事なところが、何も見えてこない気がするんですよね。

国民としては、誰がどこで出るのかより

「誰が、何をしてくれるのか、何を変えようとしているのか」

が知りたいのではないかと。

 

世の中の問題を、国民の代表であるという意識で考え、議論し、

活動されている政治家の方々もいるとは思いますが、

政治を利用して、自身の名誉や権力や私腹を肥やすことが目的に

なっている「政治屋」となっている方々が、あまりにも多くて

まるでそれが、政治の常識であるかのように勘違いしている

ように思えてならないんですよね。

 

報道などを見ていると、争点を曖昧にして

「国民は、選挙で勝つために、その感情を誘導して利用するもの」

だと思われてしまっているようで... これも国民の

「勝ち馬に乗っておけば、なんとかしてくれるのではないか」

という依存心を見透かされているということなのかも...と。

 

私たち国民にとっては、芸能人や議員の不倫より、

―しっかり注目しなければならない大事なことが、目の前にある―

そのことに、私たちが、しっかり気づいていなくちゃ
また同じことの繰り返しになってしまうと思うんですよね。

 

 

 


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by sawaki-home | 2017-09-28 09:46 | politics

それぞれの一線

 

野党から週明けにも内閣不信任案が提出される見通しのようですが

圧倒的に与党の議席数が多いので、否決されてしまうのだろうなぁ...と思いつつ、

与党の議員の方々は、ほんとうにそれでいいと思っているのかな?と

疑問に感じてしまいます。

いまの内閣の考え方、やり方を、すべての与党議員が支持しているのかな?

支持していると思われていていいのかな?

 

私は、与党の支持者ではないし、机上の計算で作られる制度や法律のために

現状の業務が、どんどん厳しく大変な状況になっていっている中で

働いている立場なので、

いまの内閣の恩恵を受けている?支持者の方の気持ちはわからないけれど

与党の支持者の方であっても、いまの内閣のやり方で恩恵を受けているのは

ほんの一部の人のようにも思えて

ほんとうにこれでいいの?この姿勢を支持できるの?と思うのです。

 

議席数が、圧倒的多数だからと言っても、小選挙区制のトリックのようなもので、

議席数の比率と国民からの支持の比率が同じではないというのに

議席数が多ければ、それだけ国民から支持され判断を任されているのだから

何をどうやってもいいのだという誤解をしているように私には見える。

自分にとってのイエスマンだけで回りを固めて、党内や省庁やマスコミにさえも

NOと言いたくても言えない状況を次々と作り出して

反対意見は意見として認めず軽視する...という考え方や姿勢は、

視点を向けるべき場所が、個人の利益や名誉や権威にあるように思えてならない。

「国の重要な役職に就いていたとしても、国の主権は国民にある。」

ということの解釈さえ変えてしまっているように見えるのです。

 

内閣に対する不信感が、私には拭えないのですが

与党を支持されている方々、投票された方々は、どう感じられているのでしょう?

支持者のために最善を尽くしてくれていると感じられているのでしょうか?

 

選挙の時だけ頭を上げて、当選したらふんぞり返って、国民など我々の言いなり...

と思われているような感じはしないでしょうか?

 

 

 

ただ、そんなことを思いながらも、

これは、与党内だけに言えることではないなぁ... とも思います。

「トップの意向に従います」と言っていれば、自分の身は守れるかもしれない...

代わりに私がやる!と言えないから、反論はしないで言うとおりにする。

でも、責任は負わないよ。賛成してたわけじゃないから...

そう思うことが、私にもある... と。

とってもずるい態度だと感じながらも、説得力のある対案を出せなくて

黙ってしまうという場面が、職場の中でも確かにある。

だから、そうしてしまうことに対して非難する資格は、私にはありません。

それでも、ここだけは譲れない!という線があると思うのです。

 

自分にとってのその一線は、自分で守るしかないと思うのです。

大それたことはできなくても、自分の中にある大切な一線を守るくらいの力は

自分に、ちゃんとある!と思っていたい。

自分が、自分に、不信感を抱くことにならないようにするために。

 

 

 

生きている世界や環境や立場によって、恩恵に対する認識は様々だと思うので

どちらが正しいとか間違っているという言い方はできませんが

思ってもみなかった状況が、自分の身に降りかかってからでは遅いと思うのです。

後になって誰かを責めても手遅れ... という場面もあると思うのです。

支持するにしても、支持しないとしても、

主権は、私たち国民にあるという認識と姿勢を示さなければならない場面が

「いま」なのではないかという気がするのです。

 

 

 

 

 


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by sawaki-home | 2017-06-08 12:00 | politics

戦争ができる国

 

いまはまだ、戦争をするのは「どこかの国」

という、『どこか遠い場所の出来事のような感覚』で

日々、目の前に起こる

仕事のことや、人間関係のことや恋愛や家族のことなんかで

頭や心を悩ませていたり、ストレスを感じたりしている

人の方が多いかもしれない。

 

政治的な話題も、ニュースやワイドショー的な番組で

伝えられ、語られる範囲の情報を、聞きかじり程度の印象で

自分の生活を脅かす事態にまではならないだろうと感じていても、

どこかの強い口調の人の発言に煽られて
 

『本当に守らなければならないこととは何か?』

 
ということを、考える余地も与えられず、

なんとなく攻撃が必要だと思うような雰囲気になるように

感情や思考を誘導されていることにも気づかされないようにされたまま

言い回しのテクニックで、共通認識となるよう画策され

そういうものなのか...と思わされ始めているのかもしれない。

 

そんな現状の中で、私が最も危険な脅威 だと感じてしまうのは

他の国の軍事武装ではなく、この日本で始まっている

『他国の脅威を大儀に掲げながら、

この国を 戦争ができる国 にしようとしている。』

という政府を含めた一部の政治家の視点や答えが一つしかないような言葉に、
嫌な危機感 を覚えてしまうのです。

 

戦争の必要性を繰り返して、
自分の国にも、相手の国にもいる

大勢の『戦争など望んでいない人たち』
を言葉巧みに巻き込んで、

個々の中にある不満や怒りや正義感を利用して、
まるでそれが
『国民として正しい思考で、正しい選択であるかのように』

訴え続け、それが当たり前の発想になるまで、
同じ言葉を繰り返す...
 

あのヒトラーの「嘘も100回言えば本当になる」のような

『傲慢で他者を見下したような考え』のもとに

人種差別や、自国主義と唱えながらも、実際は自国の利益のみに執着し

その構想を妨害する発言をする他国に干渉し支配しようとすることのへの懸念を

訴えようとする者を非国民と思わせ、排除し、抹殺することが

『あたかも常識であるかのような』思考を植え付け、

人の持つ妬みや恨みや弱さという負の感情を
都合のいい解釈で解放させながら、
実際には、

『上に立つ一部の人間の権力欲や支配欲、名誉欲の優越感を満たすために』

戦争が必要だと思わせていく...

  

そんな上に立つ、『ごく一部の権力者は安全なシェルターの中』にいて

その思考で利益を得る、ごく一部の富裕層は、金銭的支援をすることで

安全な場所に脱出させてもらい、

演出され、情報を操作されながら、強い者の言葉に流されていく人の心や、

『それでも戦争を望まない!という人たちの生活』までも

戦争の中に閉じ込め、戦いの最前線に送り、

その個々の命や人生や家族や友人や恋人や思い出の場所や
希望や、『好きなことを自由に楽しめる』という

平和な暮らしを奪っていくことに何の罪悪感も抱かない...

 
戦争が正しい選択だったと旗を振った人は何も失わず、せいぜい役職だけで

壊された建物や道などの再建に、また利益を得ていくのでしょう。

   

戦争ができる国にして、戦争を始めても

私たち末端の国民の暮らしは、奪われるものばかりで

『それを代償にしてまで得られものは、一部の権力者や富裕層にしかない』

ということを、そろそろ個々が気づかなければならないのではないかと

私は、思うのです。

 

ごく一部の権力欲や虚栄心の強い人の利益や優越感を満たすためだけとなる

戦争犠牲者になど、私は、絶対になりたくない!

 

真に国の安全を守る国にしたいという理想を掲げるなら

愛する私たちの国は『戦争をしない国』である!

という誇りを信念として、自国の利益だけを優先させないで行える

対話や交渉を、根気よく、粘り強く、続けられるということに

その国の志の強さが示されるのではないかと思うのです。

 

時代が変わったから、価値観が変わるのではない。

時代を変えようとする人の思惑で、価値観が変えられていく。

  

同じ過ちを、同じ悲劇を、二度と繰り返さないと誓った時に

何が起きていたのか

その悲劇に至るまでに、どんなことがなされていたのか

 
政治になんて口をはさめない...
と遠目で見ているような場所で暮らしていても

それを知らなければ、誰かのせいだとは言っていられない現実に

向き合わされることになる場面に、

いま、私たちは立たされているところまできていると思うのです。

 

『青臭い空想論』とは、ほんとうはどちらなのか?

 

人間に与えられている『理性』は、どう活かすべきなのか?

 

遠くの出来事、誰かが考えてくれること...にしていても

誰が本当に自分の暮らしを守ってくれるのだろう?

 
 
  

 
『昭和の日』
なのだから、
昭和という時代に、どんな考え方から、どんなことが起き、どんな結果を招き、
それが平成となっても解決できずに、苦しんでいる人がいるのか?
どんな傷を残しているのか?どんなわだかまりを残しているのか?
誰か、数人の責任や、いくらかの賠償で済まされるものだったのだろうか?
考えるきっかけになるのではないかと思いました。 

 


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by sawaki-home | 2017-04-29 19:41 | politics

 

「一般的に戦闘だと思える状態」と「法的に戦闘だとする状態」は、

何がどう違うのだろう?

どんな状態までが「一般的」で、どんな状態から「法的」なのだろう?

 

その場所に立つ人が感じる身の危険に

その場所で目にする光景に

どれほどの違いがあるというのだろう?

 

どこに、どんな線を引いて、言葉遣いに注意するよう伝えたというのだろう?

要するに、国会で問題になるから

たやすく「戦闘」などという言葉を使わないように!と

国会での問題重視で、現場の状況は二の次になっている感じがする。

 

身の危険と隣り合わせどころか、目の前に身の危険がある状況で

これは法的にどうなのか?を考えろだなんて...

私なら「いいかげんにしろ!022.gifと、ちゃぶ台をひっくり返したくなる。

送り出す時には、大変な任務を担ってもらっていると持ち上げておきながら、

自分は安全なところにいて、心地よい部屋で、

結局は、自らの立場の保身に終始しているようにしか見えない。

 

「一般的」だろうと「法的」だろうと

戦地や紛争地域に足を踏み込んだときに生じる危険は同じこと。

 

なにがそこで起きているのか。

 

よくよく考えても想像できないなら、その最前線に立ってみたらいい。

そこで、必死に任務を行っている人たちの前で

「一般的」と「法的」の違いの重要性を説明したらいい。

 

まったく、なにを言っているのか...と、呆れてしまう。


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by sawaki-home | 2017-02-09 19:45 | politics

改憲

 
投票率は、どのくらいだったのだろう...?
与党に投票した人、投票に行かなかった人っていうのは
改憲について、容認ということなのかな?

私の個人的な見解だけれど
雇用は増えていると言っても、非正規雇用が増えているというだけでは
将来的な生活の安定を見通せるような仕事に就けたとはいい難く
けれど、そういう不安定な状況にさせることで、
現在の、自衛隊を希望する人員が少ないという状況を
自衛隊は国家公務員だし、収入も保証されているから自衛隊に!
という心境に促そうとしているんじゃないかな...?
って思ったりもする。

深読みのし過ぎ...なのかもしれないけれど。


災害などが起きた時など、自衛隊の方々の尽力で
いちばん大変な時を、乗り越えられている...ということは
よくわかっている。
ほんとうに、ありがたいことだと感じてもいる。

けれど、そんな方々が
戦地に赴いて、戦いの前線に立つ...ということを想像すると
日本のために、世界のために、頑張って戦ってきてください!とは
どうしても言えない、言いたくないのです。


昨夜、テレビでコメントされていたある方は、
日本は、憲法9条のおかげで平和だったのではなく
アメリカの核の傘下に守られているから、平和だっただけ!
と話されていました。
だとしたら、アメリカの核の傘下がなければ
日本は、どこの国に標的とされ、平和を奪われていたと言うのだろう?
北朝鮮?韓国?中国?ロシア?アメリカ?
日本では国連と訳されているけれど
先の第二次世界大戦の国際連合軍という表記と
現在も変わっていないとか?
だとしたら、どんなに日本が経済成長を遂げたとしても
彼らにとっての日本は、枢軸国。
そんな日本が、憲法を改憲し、独自の軍隊を持ち、
アメリカの傘下から独立し、自分の国は自分の国の軍隊で防衛する...
という選択をした方が、
周囲の国々にとっては、危険な国...という評価になるのでは?

だからといって、アメリカの核の傘下にいれば安心だ!
という話ではない。
アメリカの傘下にいるから、アメリカが戦争を始めるなら追従しなければ
という発想が生まれてしまうのだから。

どっちを選んでも、戦争に近づいていく。
戦争が身近なものとなっていく。
その時、改憲を容認した人は、誰に戦地へ行けと命令するのだろう?
どれほどの人が、戦地へ赴き、「殺すか殺されるか」という
精神を麻痺させるような、心に深い傷を残すような日々が続くことに
遭遇させることになるのだろう?

軍隊を必要とし、改憲を容認するとしている人は
その戦地へ赴く可能性が、自分にもあると感じているのだろうか?
自分に行けと言われたら行く!という想いなのだろうか?
家族が行けと言われたら、国のために頑張って来いと言うのだろうか?
誰が、その軍隊に属し、誰が行くんだろう...と考えているのか。


どんな戦争にも、戦争に踏み切る大儀というものがある。
国内の紛争であったり、イラク戦争では
フセイン大統領の独裁政権や核兵器を製造する施設があると言って
攻撃に至ったのではなかっただろうか?
戦争をしたければ、自作自演のような手段で
大儀を掲げることもできる。

日本国憲法の戦争の放棄は、連合国軍のアメリカが
枢軸国である日本に、二度と戦争をさせない国にしようとして
作った憲法であるとも言える。
けれど、そのアメリカも、アメリカ国内では、反戦の勢力も広がってきて
軍備費や軍隊の人員確保も難しくなり
戦争によって障害を得た退役軍人への保証についても、
その人数の多さに、財政負担も感じ始めていて
だから、自分の国からの派兵や費用を少なくするために
日本からもアメリカの戦争に加勢できるように求めてきた結果
「集団的自衛権」というものを日本に求めているのではないだろうか?

北朝鮮の核兵器保有が脅威だとし、
最善の防衛を考えなければならない世界情勢だというなら
日本海側に、原子力発電所が点在している...という現実と
原子力発電の開発を推進させている現実は
大きく矛盾しているように思える。


原子力発電の安全神話が、神話であったことに気づかされている今
改憲しても、徴兵制などにはならない!と言っているけれど
指導者の安全神話を、さらにまた、鵜呑みにして
イギリスの国民のように、国民投票後に、安全だと思っていた...
それが当然の選択だと思っていた...なんて言葉を聞かされることになっても
国民投票は、簡単に再投票はできない。

そのことを、自分にも降りかかることとして
十分に理解し、選んだことを背負っていく覚悟があると
改憲を容認した人たちは、本当に言えるのだろうか?


最善の答えが、どういうものなのか... いまの私にもわからないけれど
わからないまま、誰かの判断に委ね、安易に改憲を選択すると
とてつもない後悔をしてしまうような気がするのです。
そのくらいの大きな問題だと思うのです。

 
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by sawaki-home | 2016-07-11 00:24 | politics

曖昧という現実

もらってはいけないものを
もらっていないのなら
「もらっていない」と、はっきり言うだろう。

もらってはいけないものを
もらってしまっているけれど
もらっているとは言えないから
「記憶が曖昧だ」と言うしかないのだろう。

現実が表れているのは
もらったと言ってない
ということではなく
もらってないと言えないところである。

「もらってない」と言えないということは
もらっている。



特別好きではないけれど
嫌いだとは言えない。

あってもいいけど
ないと困るわけではない。

とかく曖昧なことが多くて
曖昧に濁すことが美徳とする風習もある。

けれど
曖昧にしているだけで
現実には、曖昧ではない事実が
そこにある。
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by sawaki-home | 2016-01-24 13:07 | politics

Painting is poetry that is seen rather than felt, and poetry is painting that is felt rather than seen. [Leonardo da Vinci]


by sawaki
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